『こちらが武器を持つと、相手はさらにそれより強い武器を持とうとする。するとこちらは、もっともっと強い武器を持って相手に勝とうとする。。。。』
NHK連続ドラマ「あさが来た」の一場面です。
人間関係にも勝ち負けのために武器を持ちこむと、同じようなことがおこります。
わたしはこのシーンを見ながら、いつの間にか武器を「嘘」に置きかえていました。
嘘、うそ、ウソ。
子どもがウソをついるかなと思って、戸惑ったことはないですか?
子「やったよ」(実際は終わっていない)
母「うそばっかり! やってないでしょ!」
子「やったよ! ママが見てないだけだよ」
これは我が家のじっさいにあった会話です。わたしはこのとき、子どもがウソを言っていると分かっていたので、正そうとしていました。でも、
最後の「やったよ!ママが見てないだけだよ」は、最初の「やったよ」よりも、子どもはきつく大きな声で言います。
わたしがウソをはがそうとしたので、ムスコはウソをウソで上塗りして厚くしようとしたんです。
では、もしも私が知らんぷり(だまされて)をしていたら、つまり子どものウソを見守っていたら、どうなっていたのか想像してみます。
子「やったよ」
母「そう、やったの」
子「うん」
最後の「うん」は、最初の「やったよ」よりは、ひっこんだ感じになるでしょう。
最後に「うん」と言ったときには、きっと子どもは「宿題やっとこう」くらいは思ってるかもしれません。そう信じたいものです。
ウソというよろいは、はがそうとすると、より強くなろうとする性質を持っているようです。
はがそうとする相手よりも、強くなろうとします。
ただ小さい子どものウソは宿題やった・やらないくらいですむから、そんなに深刻なはなしにはなりませんけどね。
こんなふうに会話を書いているといろんなことを振り返れて、そのたびに気づきもあります。
会話って深いです。